走馬灯

わたしの人生のさいごにみる走馬灯

題名のない春になっちゃったな

なんだかねー。最近はねー。

何も無くて。何も無いって、何も無いのほんとうに。

物心ついてから19歳になるまでのわたしは全ての季節に感情を、馬車馬の如く動かして毎日ボロボロだった

そんなわたしが一体全体どうしたもんなのか、一人で泣くこともしないし、自分が嫌いで嫌いで、死にたくなる夜もない

毎日が何となくに過ぎていくのをわたしはただただ何もせずに見送るだけ

とうとう17歳のわたしがなるもんかと散々逃避していた"つまらない大人"というものになってしまったのか?...

それとも春の憂鬱ってやつか...

 

春が気分屋な季節風に背中を押されて名残惜しそうに駆け抜けていく

桜が、もう半分くらい散ってしまって緑を咲かせ始めている

「春が終わるんだ」

まだ4月のど真ん中だと言うのに今日はそう感じた

桜の花びらも私の心も、散って道行く人に踏まれて泥だらけだよ

 

好きな人がいた

ずっと友達だったのだけれど、どうにかしてある日突然振り向かせたくなった

きっかけも何もわたしはただ単純な人間なのだ

母親に、「あんたはいつも人を本気で好きじゃない」とある時言われて、そうなのかと自分に心底軽蔑していたけど、やっぱりそんなこと言ってやるな、と今は思う

 

わたしの身勝手で一方的なこのきもちをロケットランチャーみたいにぶつけてしまったせいで、彼がきっと前みたいにわたしの隣にいることはもうないだろう

 

わたしのこの漠然とした感情と「何も無い」毎日は多分、すべて一瞬で散ったこの  春  のせいだ

 

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上野動物園でイキッて大人買いしたマヌルネコ

¥3000

夢みる少女たちは今

皆さん、雨が降ったりして、風が吹いたりして、少し遠慮気味に春が来ましたね🌸

皆さんが住んでいる街では、桜はもう咲きましたか?

わたしはまだ、今年のピンク色を見れていません

 

3月31日

中野の歓楽街を少し外れた場所にあるライブハウスにて行われた一夜のイベント、「ゆめのつづき」

" 少女性 "をテーマにした、音楽とアートの融合と、まるで一人の少女を繊細に表現したようなイベント

 

元々初めましての人と話したり、その人のことを知っていくことがわたしは好きなのだが、人混みは大の苦手なのです

なんていうかこんなにも人がいるからこそ、孤独を一層感じてしまうんですね...

 

けれどあの日はなんだか違った

集まった人々はみんな、まるで童話の中から一夜限りに飛び出してきたようで、淡い思い出の中のようだった。

笑い声が聞こえる___

 

初めて会う人も多くいた輪の中で、わたしも一人の「少女」として、誰かと3DSすれ違い通信をするような感覚で夢を見ていたよ

あの日から気づいたら三日も経っていて、思い出す情景たちが少しずつ淡いオレンジ色になっていく

わたしと同じように生きることについて、葛藤して笑ったりして感じている「少女」たちの集いは、今もまだあのライブハウスで続いているような気がする。

 

 

少女時代がもう少しで終わりを遂げようとしていた

二十歳をすぎたらもう、帰れないと思っていた時間、会えないと思っていた人に会えた夜

わたしはまだ、ゆめのつづきをみている

 

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(Photo by くにいひなたちゃん)

instagram @hinatano_oheya

@heavenpop_p

 

 

@akaruitokoro(あかるいところ)

akaruitokoroとは、わたしが高校生の時につくり出したartwork用のインスタのアカウント名だ。

最初は何気なく、描いた油画作品を自分があとで振り返れるように作ったものだった。

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わたしは幼い頃から、絵を描くことがただ好きな女の子だった。

小学二年生の時

白い画用紙に水彩絵の具で、海の中を泳ぐ虹色の鮫を描いたことがある。

何故鮫を虹色にしたのか、それは単純に鮫が好きだったから。当時大好きだった鮫を、海の中の、私の中の主役にしたかったからだ。

その作品は学校から東京都の美術展覧会に選出された。

 

" ただ好き "で描いていた絵を、「表現」として描くようになったのは高校3年生になってからだ。高校生の自分は、自分自身にも、周りにも素直になれなかった。

溜め込んでいた寂しさや不安を言葉にして吐き出せずに、いつもどこか遠くに行きたかった。

 

だからこそキャンバスの前では素直で、ありのままでいたかったのだ。

そうやってわたしはキャンバスの前では、かっこつけたりしちゃいけないのだ。

単純に好きなモノへの愛情を込めて色をのせることを、忘れちゃいけない。


「あかるいところ」という名前にしたのは

変にかっこよく、大人になりきろうとせずに

素直で純粋で、単純なものが良かったから。

「あかるいところ」では、感情が大きく動く子供の頃、つまり" 思春期 "について振り返る。

そして、決して終わることのない、わたしなりの「女の子らしさ」の追求。

 

わたしは誰しもに、子供の頃に抱く魔法のような、純粋な感情を忘れて欲しくないと思う。

止めることができない時の流れの中で、走るように生きていくわたしたち。

瞬きをすれば消えて、過去になってしまう今を、永久に追憶できるように、わたしだけの色でキャンバスに残そうと思った。

人生の最後に、残した作品たちはきっとわたしにとってかけがえのない走馬灯になるだろう___

 

つまり「あかるいところ」は、わたしにとっての

"忘れたくない眩しい記憶たちを辿る場所 "を表しています。

「あかるいところ」とはわたしにとって描くことそのもので、

わたしの中にある痛みや寂しさを照らして、いつも光射す方へ導いてくれる場所。

逃げていい場所のこと。


わたしが描き続ける理由はただひとつだけ。

絵を描いているときの私がいちばん素直で、人間らしいからだ。

" ただ好き "だから描き続け、その好きをこれからも素直に表現して行きたい。

 

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(Instagram@akaruitokoroより「あかるいところ」)作成:2023年3月3日

 

 

 

 

 

 

 

 

キミが連れてきた春と

🌬𓏲𓂅𓂅🌸…( ˙꒳​˙ )ノヨッ

 

春が来た!

確かに春が来たことを全身でキャッチした。

待ってたよー、おかえり春🌸‪🌱‬

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3月17日

今日はいつもより早く起きて、ミートソースをつくった🍝。

外は風が強くて花粉が凄そうだな〜と思いつつお日様を浴びにベランダに出ると、懐かしい緑の風が顔にぶつかった。

春の風って何か新しい良い事を運んでくる予感がするよね

 

そんなことをして春の訪れに浸っていると、携帯にメッセージが届いた。

それは、高校から仲のいい親友の男の子からで

「春が来た🈴💮🌸」

の報告だった。高校の時から難関の美術大学に進学するために2年間毎日予備校に通いつめていた彼は、ほんとに死んじゃうんじゃないかってくらい毎日必死にキャンバスに向き合ってた。

 

彼が積み上げてきたものがこの春の訪れと共にカタチになった

わたしは自分の事のようにはしゃいで、泣いた。(笑)

彼のことが本当にだいすきで、わたしもキャンバスで表現をする「表現者」としていつも、ライバルのように、戦友のように彼には助けて貰ってきたから。

彼はいつも遠くの見えないところをみていた

言葉で表現することが苦手だった彼のキモチは絵に沢山溢れていて、いつも少し寂しそうだった。

 

4月がきたら、動物園で動物たちとお祝いをしようとおもう。🌳🐰🐯🐨🐻🐼🦁(2人とも動物が好きだから)

 

わたしたちはいつも、描くことしか逃げ場がなくて

描くことがある。

描くことが時には自分を苦しくさせるけど

そういう時はいつだって手を引っ張り合ってきたな。

 

新しい生活が、始まる。きっと出会いもあるね

 

きみの未来に栄光あれ🌱‬

 

 

like a 海底東京ナイト

音楽に詳しくはないけど、基本なんでも聴く。

青春キラキラ系も、しっぽり系も、洋楽もロックも!

けれどわたしはひねくれ者だから、明日も笑えるとか、上を向いて歩こうだとか、君が好きだとか。

そんな" 非現実的 "な歌詞には勝手に腹を立てて拗ねてしまう。

 

「どうせさいごはひとりぼっちなんだから‼️さいごは自分で立ち上がらなきゃいけないんだから‼️」

 

実に子供じみていて、恥ずかしい思考だとは思う。けれどわたしは勝手に音楽に期待して、勝手に裏切られた気に、いつもなっていた。

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いつもとは違う音楽に出会ったのは去年の秋のこと。

人混みが苦手であまりノリ気にはなれなかったライブハウスに友人が、おすすめのアーティストがライブするからと幡ヶ谷までついて行った日。

 

友人がわたしに聴かせたかった曲を演奏していたのはあまり年の違わない女の子2人組だった。

ギターとキーボードのメロディー

水中のようにこもって響く歌声。

ひどく、感動した。つむじからじんわりとあったまっていくのを感じた。

ワンルームしかないライブハウスはまるで小さな水槽のように緩やかで、優しかった。

 

人混みが慣れないわたしはその女の子たちの演奏が終わった後ライブハウスを抜け出して、幡ヶ谷の夜の街に飛び込んだ。

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ゴボゴボ…

東京の夜の街は海の底に似ている。

冷たくて、寂しくて、苦しい。

遠くのビルの光はぼんやりと海底を照らす光のようで、止めどなく行き交う車や人々は魚みたいだな。

暖かい水槽の中で育ったわたしは広い海じゃ上手く泳げない。

 

その後家に帰ってもその曲を繰り返し聴いた。

わたし自身が上手く言葉に出来ずに、喉につかえたままにしていた漠然な気持ちを、素直に教えてくれているようだった。

 

誰もが自分のことで精一杯で、自分にしか興味が無い濁った街の中で、漂っているだけだったわたしに、その曲は、歌詞は優しかったな。

 

いつもありがとう。

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iVyより/クラスルーム

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SoundCloud

 

____追記

iVyの歌詞は、日常の中で誰もが感じている痛みとか、孤独さとか、そんな行き場のない感情たちを比喩的に、かつ繊細で優しい言葉で語りかけてくれる。

そこに、なんだかずっと走り続けているような、まるで電車の中でひとり揺られているかのような感覚になるメロディーが重なる。

 

音楽業界のジャンルとか、グルーヴとか、わたしは詳しくないしよくわからないけど、わたしは彼女たちの音楽をなにかにカテゴライズなんてしたくない。

初めて聴いた時の、言葉にはできなくて、今すぐ飛び出して大切な誰かに会いに行きたくなるような、あの感覚が忘れられない

今はただずっと、追いかけていたい

 

 

 

 

 

 

気弱なレンズ

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「ねえ撮らないでよ」

 

そう言ってきみの手のひらで画面が真っ暗になった。
写真を撮られることが嫌いなきみは
「貸して、わたしが撮ってあげる」といつもぼく1人だけを映し出す。

そうじゃなくてさ、ぼくなんかどうだっていいから

今そこにいるきみは、瞬きのシャッターを切るとすぐに消えてしまう。

瞬きをするのが勿体無いほど、愛おしくて、掴めなくて、少しだけ寂しいよ

 

どうせいつか消えていなくなるんだろう、きみは。

 

その日はいつもと同じ、ファミレスに向かった。
よく飽きないなと思うくらいきみは毎回おんなじチーズハンバーグステーキを頼んで、美味しそうに食べるから
きみがハンバーグに夢中になっている隙に、カメラのシャッターを切った。

「だから嫌だっていってるの、可愛く映らないから」

いつもより少し呆れ気味にきみはそう呟いた。

僕は何も言わない
けれど、これからもきみのそばにいれる間は
飾らない可愛い君の" 隙 "をぼくだけに映し出したい。

 

視界のレンズ、瞬きのシャッター。
それだけじゃきみは溢れてしまうから
後で独り占めできるようにカタチに残させて欲しいんだ、ごめんね。

 

 

 

カタチのないプレゼント

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最近、小学生の頃ファンクラブにまで入ってよく聴いていたSEKAI NO OWARIの曲を、久しぶりにプレイリストに追加した。

曲名は「プレゼント」。 

 

小学生の時のわたしは、かなりのやんちゃ娘で、男の子といつも、木登りや鬼ごっこをして遊んでいた。

その男っぽさはいい意味でも悪い意味でも、かなり目立っていたから、上手くまわりの女の子と馴染めなかった。女の子たちが楽しそうに広げるシール帳やプロフ帳は良くわからなかった。

 

当時そんな私にも気の合う女の子の友達が1人いて、その子にはよく自分の悩みを打ち明けていた。

どうしてあの時、そうなったのかよく覚えていないけど、その子と些細なことで喧嘩をして口を聞かなくなった。

それがきっかけで、ある日学校に行ったら誰も私と口を聞いてくれない日があって、学校を早退して1人で泣きながら帰ってお母さんにその事を話した。

 

何を言われてももう誰も信じれなくなっていたわたしにお母さんは

セカオワのプレゼントを繰り返しお風呂で聴いてごらん。お湯ためておいたから、気が済むまで泣いて、もう涙が出てこなくなったら出ておいで。」

とだけ言ってわたしを1人にした。

 

その後はお湯が冷めて、目の周りの皮膚がパリパリして痛くなるくらいお湯の中で繰り返しプレゼントを聴いた。

 

「プレゼント」には、わたしがそばにいる大切な人を変わらずに大事にできるための言葉がつまっている。

人生は、何十年か好きに生きていい特別なプレゼントだと、深瀬くんの言葉がある。

 

生きていく中で、自分らしくいる分、傷つくことも裏切られることもあるけど、あの時お母さんは私に自分らしくいていいと思わせてくれるプレゼントをくれた。

 

わたしがわたしでいて、それを受け入れてくれる大切な人に、ひとりぼっちにさせないよと返せるように強い人でいたいな。

 

久しぶりにイヤホンから流れ出す聞き慣れたその曲のイントロは、

これからもきっとわたしに、わたしらしく歩き続けていいと信じさせてくれる

 

ひとりぼっちじゃないこと、大切なきみとわたしを繋いでくれるメロディーだよ